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Posted by ミリタリーブログ at

2013年10月23日

【動画】忙しい人のための空挺部隊の歌 Blood on the Risers

 ちょこっと近況兼動画紹介。

 学校祭のため今週末のゲームには出られませんが、11月初旬の``D-day``には参加します。友人鉄兜氏も参加するかもとのこと。




 はいというわけで、空挺部隊の歌を英語で歌うための練習動画を作りました。



 ニコニコですはい。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22062113




 耳と目で歌を覚えよう、というコンセプト。間奏を取っ払って、次々に歌えるようにしてあります。もちえいーご。
2番くらいまではうろ覚えで歌えるようになりました。
原曲のリパブリック賛歌など、そらで1、2、5ないし6番を歌えるようになりました!

 ワルシャワ労働歌を一緒に歌ってくれる人はいませんかねぇ……。


  


Posted by ラクの戦争は終わった at 22:13Comments(0)動画紹介

2013年10月18日

動画紹介2013年10月13日分

 カモ兵さんが宣伝をしてくれたので(多謝!)、こちらでも動画紹介をしてみます。


 どちらも2013/10/13日に撮ったものです。
(参戦記録は http://suomsfront.militaryblog.jp/e482102.html

http://www.youtube.com/watch?v=OGSZj-SOTXc

 最初はカモ兵さんとデルタ隊員さんのツーマンセル
(2人組のことをツーマンセルというのか、とカモ兵さんの記事でようやく知ったわたし)
を後ろから撮ったものです。

 ちょっと編集を凝ってみたのですが、
どうも凝りすぎたらしくいきなりの低評価キターーー!

 ぱかぱか撃ちまくってどんどん敵味方がヒットしていく中で、そんな動画です。



http://www.youtube.com/watch?v=Zaxtp6uDOcI

 編集うーん、ということで編集せずほとんどそのまま動画にした籠城戦。

 籠城戦の末に生き残った2vs1の戦いの模様です。



 うん、確かに何を書けば良いんだろうね……

  


Posted by ラクの戦争は終わった at 07:21Comments(0)動画紹介

2013年08月01日

時刻「W」ーワルシャワの時間が止まる日ー

時刻「W」……あなたはご存知でしょうか。知らなくても生きていく上では何の関係もない事ではあります。しかし、今日はそんな時刻「W」についてお話ししましょう。
私の心をしっかと掴んで離さぬ、ポーランド国民災厄の日々を……。

まず、時間のある方には3つの動画をご覧いただきたい。YouTubeに存在するこの3つの動画は、いずれもポーランドの首都ワルシャワで撮られた映像です。

もし時間のない方でも、3番目の動画をご覧になってください。きっと、ほとんどの方は頭を捻るでしょうから。

1939年
http://youtu.be/mdw1kmj1kW0

1944年
http://youtu.be/Grzo3i8WGhQ

現在
http://youtu.be/9w1jPC44_Oc

(iPhoneで記事を書いている関係で、見れないかもしれません)


ワルシャワで何が起きたかーーー。
もうわかったという人もいらっしゃるでしょう。既に知っておられる方もいらっしゃるでしょう。
しかし知らない方も多いでしょうから、拙い知識ですが説明をしてみようと思います。



1939年。ポーランドはドイツとその傀儡国家スロバキア、そしてソ連の侵攻を受け、あえなく敗北しました。
ポーランド政府は徹底抗戦を掲げてイギリスに亡命し、占領下のポーランドでは多数の抵抗運動が組織されました。国内軍と呼ばれる最大の組織もその一員です。

抵抗組織はドイツ軍に対するサボタージュを続けながら、ひたすら機会を待ちました。
「ドイツから祖国を取り返さなくてはいけない」。
1943年にはユダヤ人がワルシャワ・ゲットーで蜂起し、ドイツ軍に衝撃を与えます。ユダヤ人が彼らに立ち向かうとは、全く予想だにしていなかったからです。

そして1944年。ドイツ軍は東部戦線で大崩壊を起こし、ソ連軍は雪崩の如くポーランド国境へと押し寄せました。7月にはワルシャワまであとわずかのところに迫ります。

国内軍は決意しました。ソ連は5年前にドイツと共にポーランドを侵攻した国であるため、ポーランド自身の手でワルシャワを奪回することが必要だと。最終的にはソ連軍に頼らざるを得ないとしても、カチンの森事件をはじめとする「実績」があったため、ソ連は信用ならぬ国だったのです。

1944年8月1日、午後5時。国内軍をはじめとする在ポーランド対独抵抗組織は各地で決起しました。

主な戦場は首都ワルシャワでした。国内軍に限らず、ほとんどの抵抗組織は貧弱な武器しか持っていませんでした。数人に1丁の小銃があれば良い方で、拳銃すら貴重な武器だったのです。劣悪な装備でしたが、国内軍は戦死したドイツ兵や占領した兵舎から武器や被服を鹵獲し、一気に戦力を底上げします。このとき、国内軍は敵味方識別のため、鹵獲したヘルメットに帯を巻いたり、ポーランド国旗を袖に巻きました。市民もこの戦いに参加し、市街戦は拡大していきます。
イギリスもポーランド国内軍を支援するべく、輸送機で各種武装を輸送します。PIATはドイツ軍の戦車に対抗する上で欠かせない武器でした。

しかし、肝心のソ連軍は来ませんでした。スターリンが反ソ勢力の台頭を赦さず見棄てるためにソ連軍の前進を赦さなかったとも、また反ソ勢力が決定的勝利を収める前にソ連軍がワルシャワを解放することを求めたとも言われています。
いずれにせよソ連軍の最前線では損害の回復を優先し、前進することはなかったのです。在ソ亡命ポーランド軍のみが前進を許可されましたが、彼らだけでどうにかなる事ではありません。また、武装を投下するイギリス空軍輸送機の着陸給油も拒みました。それでもイギリスは物資の空中投下を続け、多数のイギリス人・ポーランド人パイロットが戦死しました。
ソ連軍が停止したまたとないチャンスを利用して、ドイツ軍は戦力の拡充に励み、その一方でワルシャワ蜂起を鎮圧するために大部隊を送ります。国内軍は老人や子供までもが戦いドイツ軍を防ごうとしますが、ドイツ軍はありとあらゆる部隊を送り込みます。セヴァストポリ要塞で活躍した自走臼砲カールすら投入し、大量の火砲・戦車・爆撃機の支援でドイツ軍は国内軍を圧倒、国内軍の支配領域は分断されます。包囲されてなお国内軍は勇敢に戦いを続け、地下道を使って移動を繰り返しました。


国内軍の戦いは63日間、実に2ヶ月間に及ぶ壮絶なものでした。

1944年10月3日、国内軍はイギリスの仲介により正規軍として降伏することが認められ、ドイツ軍は彼らを武装解除します。

そしてワルシャワは徹底的に破壊され、翌年の1月までドイツ軍が撤退することはありませんでした。


時刻「W」……それは、ポーランドの人々が銃を手に立ち上がった、まさにその瞬間を指しています。


今でもポーランドでは、毎年8月1日午後5時になると1分間に渡ってサイレンが響き渡ります。サイレンが鳴ると人々はその場に立ち止まり、かつて戦い死んでいった人々のことを想います。3番目の動画は、このときの様子を映したものなのです。

このサイレンは蜂起に参加した人々すべてに対する黙祷であり、またレクイエムでもあるのです。




あれはユダヤ人の言葉だったでしょうか。
「彼らは2回死んだ。最初に命を奪われ、次に存在を奪われた」
たしかそのような意図の言葉であったと思います。
忘れることが、戦った人々を2度殺すことになるという意味です。


知らなくても生きていける知識です。たかが数十年前の、それも遠い外国の死者に1分間を捧げる必要はありません。

それでも、いつか私は時刻「W」に参加するでしょう。なぜなら、私はワルシャワ蜂起にどうしようもなく魅せられているからです。
病的とさえ断言してもいい。


心の中の何かが叫ぶのです。
「彼らのことを忘れてはいけない」と……。


なぜワルシャワ蜂起なのか。

その答えは未だにわかりません。


日本時間の8月2日深夜零時、ないしはポーランド時間の8月1日午後5時。
時間が来たら、手を止めてみようと思います。




参考資料


わがポーランド ワイダ監督、激動の祖国を撮る (NHK取材班、日本放送出版協会)

戦場のピアニスト(ロナルド・ハーウッド/著、富永和子/訳、新潮文庫)

劇訳表示。 : 【サイレン】一年に1分間だけ時が止まる街・・・【ポーランド・ワルシャワ】(http://www.gekiyaku.com/lite/archives/13102429.html)

(「ワルシャワのサイレン」を最初に知ったきっかけは、この記事でした。この記事がなければずっと知らなかったでしょう。ありがとうございます)

ワルシャワ蜂起 - Wikipedia (http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワルシャワ蜂起)

ワルシャワ・ゲットー蜂起 - Wikipedia (http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワルシャワ・ゲットー蜂起)

ソ連軍資料館:スタフカ代表ジューコフ (http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/predstaviteli.html)

戦場のピアニスト (ロマン・ポランスキー監督、2002年仏独英波合作)

地下水道(アンジェイ・ワイダ監督、1956年波)


  


Posted by ラクの戦争は終わった at 15:46Comments(2)動画紹介ポーランド国内軍

2013年06月20日

Elämää juoksuhaudoissa の演奏動画



Elämää juoksuhaudoissa
http://www.youtube.com/watch?v=RnO3_cZrUaU

こんなアコーディオンを塹壕の中で聴きたいですね。

ということで久しぶりの記事は簡易更新。
Life in the Trenchs、塹壕の中での人生の簡単な紹介です。
フィンランドの戦時歌謡?で、FHSWのカレリアでも流れてましたね。

故郷から遠く離れた塹壕であなたを思い出す、といった感じの静かで哀しい曲です。



Elämää juoksuhaudoissa (Life in Trenches / 塹壕での人生)
http://www.youtube.com/watch?v=ck_BUUQODaQ

歌詞翻訳つきはこちら。フィンランド語、英語と同時掲載されているのは非常にウレシイです。
(投稿者さんがフィンランド人なんですね)
戦後バージョンを聴くと歌詞が増えていて、さらに音源のない部分もあるようなので、おそらく1つの詩からつくられた曲なのではないかと考えています。

うーん、軍歌と戦時歌謡の明確な基準ってなんなんでしょうか?


とにかく、フィンランドの曲をいくつか歌えるよう練習しています。ちっとも上達しませんがw
休憩のときに歌えたら最高ではないですか。

私は合唱以外のリズム感がまるで無いので演奏はあきらめています。(手拍子も怪しい)

まあカラオケもかなり怪しかったんでもう自己満足の世界ですが……。


近いうちに近況を更新予定。  


Posted by ラクの戦争は終わった at 22:18Comments(0)動画紹介

2012年04月14日

WW2火器を撃つ動画数本

 第1週の講義はガイダンスだけで終了。来週から怒濤のごとき人海戦術(レポート)が押し寄せるのか……。



 いくつか興味深い動画があったので紹介します。

 海外の動画で、WW2の火器を当時の格好で撃つもの。1分もない短いモノで、Το κανάλι του χρήστη klubasgrenadierius という方の投稿作品です。


MOSIN-NAGANT 1981/30
http://www.youtube.com/watch?v=HPbVU_DlSo4&context=C40d6927ADvjVQa1PpcFN6rjXUrBkTS0t7kjxlNcXohUqnpg_kZMM=

PPSH 41
http://www.youtube.com/watch?v=Sg2wShSyQ-M&feature=context&context=C40d6927ADvjVQa1PpcFN6rjXUrBkTS0t7kjxlNcXohUqnpg_kZMM=



 他にMG42、MG34、Kar98k、PPS-43、DP27などがありました。MP35って装填がボルトアクションなんですね。ZB26の動画など雪降る中で半袖という、ガッツがあるというかなんというかw


   


Posted by ラクの戦争は終わった at 17:45Comments(2)動画紹介