2016年05月03日

ベトベトマニア 1 参戦記録

ベトベトマニア 1 参戦記録

我、再びかの地に立たん。

…………

あれから1年。そう、1年間が過ぎました。

もはや叶うことのない夢、幻。そんな桃源郷が、再び姿を現したのです。

その名も"ベトベトマニア"。

あれから1年。時は遡り、1966年……。








"ベトベトしませんか"はサイゴン陥落で幕を降ろしたはずでした。

博士さんが開催した"ナムこれ"はあくまで"ナムこれ"であり、ベトベトでは無かったのです。

そのナムこれの帰り道。あれは去年の9月だったでしょうか?
ベトベトはもう無いのか、という私の問いに、運営の一員であられるフロレスさんはこう答えてくださいました。

「ベトベトは必ず復活します。待っていてください」

ベトベトマニア 1 参戦記録

月日は流れ……といっても数ヶ月後。突然、大きな知らせがやってきました。

「ベトベトしませんかは終わった。サイゴンは陥落し、道は投げ捨てられた軍靴で埋まった。だが落胆することは無い。新たな時が来た!同志よ、2016年はベトベトマニア旗揚げの年である!鬨の声をあげるのだ!」
注:執筆者の主観が多めに入っています。

まさか1年も経たないうちに再びあの地に立てるとは、予想だにしていませんでした!

しかも会場は千葉県は四街道、ヴィレッジワン。なんと歩いて5分の場所にバス車庫があり、かなり頻繁に路線バスが行き来している場所なのです。

エリア51まで歩いて行こうとした阿呆には嬉しい知らせ。その上、ヴィレッジワンのフィールドオーナー様はヒストリカルやリエナクトに理解のある方だという話でした。フィールド自体も広く、ナム戦にはぴったりの場所であるとか。ベトベトには欠かせない、前夜祭を開催するスペースも充分にあるという話なのです。しかも屋根付きの広大なセフティがあるため、寝泊まりもしやすいとか。

ちょうど同じ頃だったでしょうか。中国のAGMから電撃が走りました。エアコッキングのM1カービンが発売されたのです!

ベトベトマニア 1 参戦記録

……もちろん、五つ星とは言えません。弾倉は30連型しか無い上に使いにくいし、もちろん予備マガジンなんて売っていません。あちこちにプラスネジが見え、ストックはモナカ。

それでも、たったの5000円でM1カービンと言えるものが手に入るのです!手直しをしてやれば、これは見違えるような小火器に変化するでしょう。

前々から「解放戦線をやるなら絶対にカービンだ」と思っていた私は、即座に1丁購入したのでした。手にした瞬間、幸せが広がります……。

まさに天啓です。神は我にベトベトマニアとM1カービンを与え給うた!

私は数ヶ月を費やして、ベトマニへの準備を整えることにしました。そのほとんどは資料の読み込みと、M1カービンの加工に消えていきます。

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そして4月23日。万全の準備を整え、私は家路についたのでした。帰る先はチバ省はヨツ街道。荷物はキャリーバッグと寝袋、大きなライフルバッグ。雑多な装備品と、大きな期待。

実は前日、職場のレクで体力を消耗しきった後でしたw
野球などやったことも無いのに全力で投げ続け、手足はヘトヘト。呑み会の方は制限した甲斐あって、二日酔いなど何処に吹く風。瓶ビール3本とウイスキー1瓶を抱えて、当日の夜に備えます。

公共交通機関でヒストリカルイベントに行くときはキャリーバッグが便利なのですね。ベトベト18、PHS-7で学習しました。さすがに寝袋までは入らず、キャリーバッグに括り付けての行軍。ライフルケースはモシン・ナガンを収納できる大型のものですが、M1カービン2丁にはちと大きすぎました。

そして……現着。最初、どこに入り口があるのかわかりませんでした。森の中にひっそりと看板が佇んでいて、存在感を消しているかのよう。

室内戦用らしい廃工場や事務所の脇を通り過ぎると、その先には検問がありました。

出迎えてくださったのはフロレスさんと、主催の方でした!早速、イベント料金を支払ってセフティに入ろうとします……すると。

「ラクさん、実は今回、仮想通貨を作ったんです」

見ると山のような100ドン紙幣の束。1ドン=1円で、ベトマニのみで使える通貨なのです。

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「1000ドンでダンサーさんの"個人ダンス"を受けられますよ!」


!!!

速攻で交換しました(笑)

もちろんノータッチでしょうけどw



会場に着いてすぐにブラックパジャマに着替え、お店を探索します。

今回の予算は3万ドン。欲しいものは北ベトナム人民軍装備と、M1カービン用のポーチ。

さらっと見た後、北側の同志であるベトななこさん、ビフィズス菌さんとお会いすることができました。

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売り子の格好をするベトななこさん。最初はサイゴンの少年のように白いシャツを着ておられましたが、農民服を着ることに。

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……ベトマニでは小道具が多ければ多いほど、"ベトナム"になるなぁ、と感じた次第。

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開会式前のフィールド入り口。

運営の方々が忙しく打ち合わせをしてらっしゃいました。

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そして直前。なんと常設のステージです。

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開会式が始まります。なぜか小野田少尉が現れます(笑)

そして皆で乾杯!ウイスキーを一口舐めて、始まりを噛み締めます。

そう、ただの開会式ではありません。ベトベトマニア初回の開会式なのです!このように光栄なことはありません!

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お決まりのダンスタイム!

前回……つまりベトベト18は初参加だったため、私も勝手がわからず「う、うぇ〜い!」といった戸惑いの掛け声をあげていました。

でも今回は2回目。はじめから「オォォォォォォッッッ!」とわけのわからぬ雄叫びを腹から出すことができました笑

二次戦は散々経験があるけど、ナム戦は初めて……という方が隣におられましたが、やはり最初は戸惑っておられました。

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恒例の……っと、今回は腕相撲ではありませんでした。

クイズ大会!

その内容はおちゃらけたものもあれば、かなりマニアックな……それも当時の世界情勢やアメリカ兵の常識……が問題として出されていました。

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クイズの勝者は恒例の"御褒美タイム"。

ちなみに先ほど書いた、初ナム戦の方が御褒美に預かっていました。羨ましい限りです(笑)

これは抜け出せなくなりますよ(直感)

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恒例の……まあ言わなくてもわかりますよね(苦笑)

今回は人だかりができていて、水責めの状況は良く見えませんでした。



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そして4人のダンサーさんが代わり代わり踊ります。

この感じ、ここでしか味わえないですよね。終いにはダンサーさんに向けて突撃しているのか、MPとじゃれ合っているのかワケがわからなくなってきました。

もうここは別世界。

ここまでのバカ騒ぎができるイベントなぞ、他にないでしょう。

ダンスが終わり、みんなステージを後にします。

それでも夜は終わりません。今度はセフティの屋根の下で、地獄の黙示録が上映されます。

まともに観ている人はほとんどいません(笑)
だって、みんな何十回となく観ているわけですから。

同好の趣味者と肩を組んで酒を呑み、ワルキューレの騎行で北も南も絶叫する。

いやあ、地獄ですよ。こんなに楽しい場所が地獄であるのかどうか……。そんなことは構いやしませんが。

ベトベトマニア 1 参戦記録

例の1000ドンはここで使うことができました。

プライベート・ダンス。ノータッチですよ。ノータッチ。




でも柔らかかった( )
あたまがね、あたまがしあわせなの///


ベトベトマニア 1 参戦記録

前夜祭の前から、すでに酒呑みの準備は始まっていました。ベトななこさんが持ち込まれたゴザにいろいろ載っけて、なんだかマーケット感。

あの日の夜は、本当に呑みまくりました。どこまでもどこまでも……。

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寝床の準備をするビフィズス菌さんとベトななこさん。

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楽しい時間はあっという間に過ぎ去ります。

そしてまた新しい楽しみの時間がやってくるのです。

今日は生憎の雨。それでも、歯車は回り始めます。

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まずはルールの説明。突然始まったダンスのキレの良いことw


そして犠牲者の方々への追悼。

ラッパの哀しげな音色が心に染み渡ります。

ベトベトマニアでは死者という言葉を使いません。あくまでも重傷者であり、命を落としているわけではない……。

今も戦争で命を亡くしている方々が大勢いるということは、心の片隅に留めておきたいものです。

ー数字になった人々ー

平和だからできる。それを忘れてはいけないのです。





ベトベトマニア 1 参戦記録

戦いの準備は徐々に進んでいきます。

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南側の勢力が集結しています。凄まじい統一感!

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今回はこのような装備で参加しました。

グッドモーニング・ベトナムに出てくるベトコン……あのたすき掛けバンダリアを再現してみたかったのです。

ビフィズス菌さんによればこのSKS用バンダリアは71年型とのこと。つまり66年には存在していません。

今回は大量の人民軍装備を購入したので、M2カービン用弾倉ポーチと手榴弾を装備しています。

頭のバンダナみたいなものはパラシュート生地。

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イメージ的にはこんな感じでしたが、どうも違和感がありました。

うーむ、農民服そのものも含めて、まだまだ調べ物が必要のようです。

M1カービンは15連弾倉3つ、30連弾倉2つの合計105発を発射できます。大火力であります!

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午前中、解放戦線はなんと村の建設を始めます。解放戦線というか、モロに農民ですね。

あるベトコン・グループの方々が以前から画策しておられたようで、農民たちの手伝いであっという間に2軒の家が建ちました。

その後、地面が耕されて作物が植えられます。

ヴェトコン=集落ではフラググレネードの栽培がおこなわれると古事記にも書いてある。


……農民・解放戦線における午前中は、半分以上の時間が農村開拓に費やされました。

ベトベトマニア 1 参戦記録

というか、ごく初期にはカイライ軍……政府軍が駐屯していました()

66年ということもあって主要小火器はM1カービン銃かM1ライフル銃。半数以上が撃てないガンであったという話ですが、そんなことは些末なこと。

政府軍もいいなぁと思った次第です。


政府軍が重機関銃を据えてる横に、完全武装の解放戦線がいたりするのはご愛嬌でしたが()

武器の隠し場所が欲しいなぁ、と思いました。フィールドは自由に弄っていい(!)そうなので、次回はスコップ持参で半地下式の秘密武器庫を……などと考えたり。

なお、米軍も塹壕を掘りに掘っていたそうなので、全体として戦闘は低調だったようです。


遠くから幾度となく人民軍の突撃合図と戦闘音、そして退却合図が聞こえていましたが()

その度に「政府軍のひと、わしらを守ってくだせえ」とかなんとか言っちゃうわけです。


(追記:
今回のベトマニで、私は自分のカービンを紛失しかけるという失態をしてしまいました。
最初に村を建設するとき、小屋の脇に弾薬箱と一緒に置いたのですが……誰かが隠してくれたのか、はたまた自分で移動したのを忘れたのか、とにかくどこかへと消え去ってしまったのでした。

気付いたのはちょうど政府軍が撤収した後のこと。勘違いした私は政府軍の方々にカービンのことを聞いて回ったのでした。

結局大騒ぎしてネズミ1匹……村の別の場所にカービンは置いてありました。自分で移動して忘れてたなら相当ヤバイなと思う次第。どちらにせよ、解放戦線が村のど真ん中にカービン銃を放置するなどあってはならないことです。

それでも政府軍の方々は真剣に私のカービン銃を探してくださいました。この場を借りて、優しい方々に改めて御礼を述べさせていただきます。
ありがとうございました!

追記終了)






午前中もおそらく11時を回った頃から解放戦線の攻撃が始まります。

8〜9人の解放戦線戦士が分隊を組み、左翼側から回り込んで戦線を突破しようとします。そこではシールズの遅滞戦術にハマり幾度となく退却。

その後、人民軍の左翼側を支援して攻撃をおこないます。損害はほとんどなしの状態で25師団(推定)のパトロール分隊を潰滅させます!しかし人民軍が大きな損害を被ったため後退。

ここで私は解放戦線の分隊とはぐれてしまい、一度村に戻ります。村では味方が地雷を踏んだり、人民軍が爆弾を暴発させて一帯が壊滅したりと、様々な事件が発生していたようで。

昼前最後の突撃が敢行されると、解放戦線はやはり左翼側へと出っ張ることになります。

人民軍の支援のもと、カイライ軍の機関銃バンカーを攻撃しますが、まったく近付けないうちに退却となります。

ほうほうの体で機銃の射線を横切り、とぼとぼ村に向けて足を引きずっていきます。

その時でした。突然、「ポン!」という音と共に左脚が浮き上がり、私はそのまま前方に投げ出されたのです。

なんと、味方の解放戦線が仕掛けた対人地雷にまんまと引っかかってしまったらしいのです!

……どうやら地雷原は4人ほど引っ掛けていた模様。首尾良く敵1名が負傷を負ったので大戦果であります。

……まあ実際の農民もベトコンも、村の周りでむやみやたらに歩き回ることはなかったという話ですしね。

ちなみにこの地雷はモスカートと塩ビ管を利用した至極簡単な構造のものだったようです。徹底的な偽装を見破ることは事実上不可能です!ちなみに落とし穴は危険なのでNGだそうな。

モスカートを使うブービートラップは試してみたいなと思いましたね。次のベトマニでは敵だけでなく足元に潜む"トモダチ"にも注意をしなければならないのかも(主に北側が)。

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午後になると戦闘行動が本格化します。

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……一番最後に走ってやってきたソコロさんが(チキショー!)と小声で悪態をついていたのが全部丸聞こえだったのはナイショです()

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今回は午後から爆破の演出が入ったため、米軍は人民軍を殲滅しようとします。

人民軍は盛んに攻撃を仕掛けていきます。午前中からの流れか、人民軍は右翼側から政府軍の哨所を、解放戦線は左翼側の小道を占領しようとします。

しかしそこは南側。哨所を大兵力で守る一方、小道にはシールズなどの少数精鋭を投入して圧力をかけてきます。

やがて解放戦線は3方向を敵に囲まれます。というより、敵味方が入り乱れて戦っていた……と言った方が合っているでしょう。

時々、人民軍と共同してシールズを殲滅しようとしたりします。捕虜を取って南側と交渉しようとしていた時もありました。そのうち戦況がだんだん不明確になっていき、政府軍どころか、味方の解放戦線分隊とも連絡が取れなくなります。

私は午前中の分隊とは別の分隊にくっついていき、パカパカとM1カービンを撃っていました。

左側の森が開けた場所にはシールズがおり、右方遠くでは人民軍と米軍の激しい戦闘。前方には斥候らしき小部隊が展開しています。

このとき一番鮮明に覚えているのが、人民軍と合流しようとした時のことです。

どうもクサい。この先で人民軍が戦闘中なのは間違いないが、ここらは少し静かすぎるようだ……。まず1人の解放戦線戦士が足早に森の中の小道を横切ります。

その解放戦線戦士がしゃがみ、合図を送ります。2人目……私の前にいた解放戦線戦士が慎重に進んでいきます……。が、これはマズい行為だったのです。

すでに最初の"ベトコン"は発見されていたらしく、敵の斥候は消火器の照準を小道に合わせていました。2人目の戦士は小道に差し掛かった途端、腹を撃たれて卒倒します。

「敵だ!」

誰が言ったのか、そんな声が聞こえます。もしかすると政府軍の囁きが風に乗ってきたのかもしれません。無風です。

私は伏せたまま前進して、2人目の解放戦線戦士を安全地帯に引っ張っていこうとしたのですが……。

パシィィンッ!

伏せている状態で、私は腹に1発喰らいました。声にならない悲鳴をあげると視界が地面でいっぱいになり、すぐ真っ黒になります。そして遠くから聞こえてくる誰かの声。

「やった!やったぞ!」

……意識が深淵に沈んでいくのを、わずかながら理解したのでした。


(注:個人的主観が多々入っております)

あの「やった!」という叫び声、実際すごいオイシイ状況だったので撃たれた方も匍匐した甲斐がありました。この文章を読まれている方の中に、あのときあの場所で私を撃たれた方がいたなら、是非ともコメントください。せめてどこの南側部隊だったのかは知りたいなぁという(笑)

ベトベトマニア 1 参戦記録


南側の詳細な戦況はよくわからないのですが、どうやら主力の25師団が村を占領しようとして人民軍の罠に嵌った模様。

ベトベトマニア 1 参戦記録

手違いで解放戦線が"村にいた"ので、急遽私たちは小屋の中に入ります。本来の主人たちはカイライ軍に連行されていったので、たぶん今は戦略村にいるんじゃないでしょうか(適当)

ベトベトマニア 1 参戦記録

"解放戦線は存在しない"ことになっていたので、ここぞとばかりに写真を撮りまくります。

25師団の連続写真をお楽しみください。

ベトベトマニア 1 参戦記録

ベトベトマニア 1 参戦記録

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まあそんなに数は無いんですが(汗)

ベトベトマニア 1 参戦記録

25師団のパトロール分隊が潰滅して退却すると休戦期間に入りました。

おそらく後々、その模様が動画か何かで出てくるとは思いますが……爆破の演出でベトマニは終了することになりました。

村を焼いた例のパトロール分隊が攻撃を受け、南側は哨所にて防御態勢を取ります。

そこへ人民軍と解放戦線が押し寄せ、南側は危険な状況に。迫撃砲の砲撃を受ける中、米軍は空爆を要請。爆弾は塹壕の周囲を吹き飛ばし、双方が損害を被りながらも米軍は立ち上がる……といったシナリオでした。

これに関しては映像を見るしかないと思います。あるのかどうかは不明ですが……。

そんなこんなで楽しかった2日間は矢のように過ぎ去りました。ベトベト2回目、ベトマニ初参加。少しはイベントにも慣れてきたかなと思います。

ただ、まだまだ挨拶なんかができていないので、もう少し照れ屋(コミュ症)な部分を改善していきます。



さて次の参加予定(ベトナム戦争ヒストリカル)は……

"ナムこれ改"!
http://twipla.jp/events/182022

5月21日(土)に開催されるようです。

個人的に土曜日開催って嬉しいんですよね。日曜日は休めるから()

今回はケサンの戦闘をシナリオにしているそうなので、人民軍装備の調達が急務です!

ベトベトマニア 1 参戦記録

あっ…………。

いや、UZIが手頃なお値段であったんですよ。したら買っちゃうじゃないすか。そうでしょ奥さん?

…………CYMAのプラストックで良いので、安いAKを買う予定です。さすがにメカボまでプラのAK最安値は購入しないですけれど。

ベトベトマニア 1 参戦記録

着てみた感じ。

ビフィズス菌さんの助言で腰用のAKポーチを導入。あとはリュックと偽装網、サンヘル、手榴弾、そんな感じですね。2ポケットの戦闘服は実物記事だそうな。いい色してますわー

ただズボン用のベルトがない。チョッパったピストルベルトではループに通せないんですね……。どうしようかしら。

ベトベトマニア 1 参戦記録

今回投入した ヴェトコン ジャングル=メイド グレネード。

日本軍の九七式をコピーして、仏F1式の信管を取り付けたもの。

これはアリイ(マイクロエース)のコンバットセットを組み合わせて作ってあります。信管はMk.2とM67。途中で飛翔レバーを取り外して、この状態で使用しました。なにせレバーはプラの上に2分割なのでボロボロ壊れるんですわ……。

それでも九七式手榴弾の本体は中に石膏を流し込んだ甲斐もあって壊れることなく2日間を耐えてくれました。





次のベトマニはもっと「農民らしい」行動をとれるように努力して参ります。

ベトベト最終戦では感じず、今回痛感したこと……それは、解放戦線は農民や市民であるということ。

軍隊である人民軍とはわけが違うのです。解放戦線は田んぼを耕したり、料理店を経営したり自転車を直したりする人々から構成されているのです。ごく普通の人々なのです。

……まあ、"革命運動"に参加している時点で"普通の人々"ではないかもしれませんが。

そういう深く、見えにくい部分が、今回のベトマニで垣間見えた気がします。私はそこを追っていきたいな……と考えております。

10月までに何ができるか……さて、はて?

そう、ベトマニ第2回は10月の第1週に開催されます!
会社の長期予定を見たらうまく"すり抜けてた"ので、こりゃあもう参加予定ですよアナタ。

武器は同じくAGMカービンでしょう。私は、ベトマニでは解放戦線……農民しかやらないと思います。

多分、ナムこれのような戦闘メインのイベントでは人民軍装備でも出撃するかと思います。

どうすれば農民生活を再現できるのか……。考えてみたいと思います。



最後に。

スタッフの方々、フィールド運営者様、そして参加者の名も無き人々、お疲れ様でした。
ありがとうございました!

また、かの地でお会いしましょう!







……自転車修理マン(サイゴン市民)
などというネタが思い浮かんだけれど、多分やらないです。

アメリカ兵「あー!自転車修理マンが来てくれた!助けてくれ、困っているんだ」

この後の展開が容易に想像できてつらい。(パイソン感)


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この記事へのコメント
はじめまして?
レポ拝見いたしました。

迂闊にも村民の生活動線に地雷を埋めてしまったうっかり農民です。

当日も聞きましたが、踏んだ瞬間の「体が浮いた」という感想に「ホンマかいなw」と爆笑しました。
敵よりも多数の味方の四肢を吹き飛ばすことに成功したので満足な1日でした。

地雷を踏んだ農民のお嬢さんも「無慈悲・・・」と言い残し運ばれていきました。

ブービートラップが実にホットですw
Posted by SagaSaga at 2016年05月03日 23:10
Sagaさん
コメントありがとうございます。記事を読んでいただいてとても嬉しく感じております。

あの地雷はよく考えられてましたね!
まさか自分が地雷に引っかかるとは考えもしてなかったので、一瞬なにが起きたか全くわかりませんでした(笑)
モスカートとはいえ、結構な推進力があるのですね……。

ナム戦ブービートラップ、素晴らしかったです。ぜひ次回も敷設をお願いします。
ベトマニお疲れ様でした!
Posted by ラクの戦争は終わったラクの戦争は終わった at 2016年05月04日 01:01
僭越ながら、お二人ともセミで被弾されたのなら、僕かもです
奇しくも同じMワンカービンです
南ベのレインジャーでした
アホカリやベトベトに参加される時が
ありましたらぜひキャンプにお越しください!僕らもウィスキーは大好きです
Posted by カンベエ at 2016年05月13日 03:58
カンベエさん
コメントありがとうございます。
電動ガンの音ではなかったので、おそらくカンベエさんの弾だと思います。やはり南ベトナム政府軍だったのですね。あれは狙い澄ました2射でした、とても嬉しいです!(笑)
御言葉に甘えて、少しだけお邪魔するかもしれません……その時はよろしくお願いします。
また南ベトナムでお会いしましょう!
Posted by ラクの戦争は終わったラクの戦争は終わった at 2016年05月15日 21:35
おそれいります。
はやければ、アホカリ2016で、お会いできますね!
話したい事が沢山です!
共に火線を交えた仲間同士で酒を呑む
楽しいに違いありません。

今回は・・・ クイズで敗れチ少佐(元 大佐 66に戻ったから...)に水責めされました。ネームはTUU(ベトナム語で お酒)です。もともとはベトコンで参加していました
これからよろしくお願いいたします
Posted by カンベエ at 2016年05月17日 08:45
カンベエさん
アホカリは参加を検討中です。南ベトナム解放戦線か北ベトナム人民軍かはまだ決まっていませんが、参加自体はほぼほぼ確定ですね。
政府軍にも興味がありますので、お話を伺いに参るかもしれません。よろしくお願いします!
Posted by ラクの戦争は終わったラクの戦争は終わった at 2016年06月05日 15:00
 
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