2016年06月21日

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

全国5人の読者様、お待たせいたしました。

今回の記事はナウでヤングな話題です。もう1ヶ月も前のことになりますが……いつも通りですね……。

ではでは、ナムこれ改に参加した時のレポートをお送りいたします。

あれは去る5月21日のこと……。



参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

私は北ベトナム人民軍の戦士として、南ベトナムの国境地帯、チバ省ケツサン地区におりました……。






ルポが始まりそうな導入ですが、

実のところ始まりません笑

まあ、まずは参戦準備から始めましょうか。

記念すべきベトベトマニアの旗揚げで、私は北ベトナム人民軍の装備一式を購入しました。合計2万ドンなり。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

いやまあUZIは趣味なんですけどね?

この装備を購入したのは、すでにナムこれ改への参加を固めていたからでした。

ナムこれ改〜シュインバッカー作戦〜のコンセプトはケサン戦。とくれば、人民軍で参加したくなるのが個人的人情というもの。

というわけで、昨年の9月くらいから地道に人民軍装備一式の導入やりくりをしていたのでした。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

解放戦線装備から流用したピストルベルト、米軍水筒、そして新しく購入したマルイAKも含めて総額5万ドンくらいですかね。まだ足りないものもいっぱいあるのですが……。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

そんなこんなでいきなり現地入り。

オペレーション・フリーダムさんでのナムこれ開催です。



今回はPHSでの失敗に懲りて、レンタカーを借りてみました!

ついでにベトマニで仲良くなったレバサシさんを乗っけて、行軍に邁進したのです。

いやあ、自動車って楽ですね!私事ですがジムニーを買いました。これで次から自家用車で行けます。

この記事を書いている時点では未確定なのですが、まあ大丈夫でしょう。


人数が集まらないのではないか?という予想もありましたが、南側20〜30人vs北側15人前後というカタチに収まりました。

正確に何人いたのかはよくわから……。

https://photos.google.com/share/AF1QipPSqpuS3e9S4PC4ronN8g3l02IMg96vhBrFhy9MImxboX6Kpf-w9LVIeKvIsmvzjQ?key=b3VtSzlmOEdBYzh4SDRnTFlrZHpaeHNEdC1kUUpn

と思いきや、フィールドさんで撮影が入っていたのでした。

その雰囲気がよくわかるかと思います。



20vs13くらいですかね?(キチンと数えていない)

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

今回の私です。

ついに念願の北ベトナム人民軍戦士になれました!

とはいえ、何かこう、物足りなさがあります。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

1つはズボン用ベルトがないこと。

すっかり忘れていたのですが、北ベトナム人民軍の兵隊は上着をズボンの中にタックインします。

ということは当然、下手なベルトを使うとナンダコリャー状態に陥るわけで……。

未だに入手できていないので、何か探そうと思います。意外と100円ショップのベルトも行けるそうなので。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

今回、北側指揮官を務められた、たらば分隊指揮官のたらば分隊長。電動MAT49を使用されています!

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

いやあ、良いもんですね!たらば分隊長はMAT49を片手に走り回って、分隊指揮と衛生兵を兼任されていました。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

やがて北側の部隊は森へと移動します。

このわずかな森以外は全域がケツサン基地(塹壕とバンカーの組み合わせ)であり、苦戦が予想されました。

11時頃だったでしょうか、戦闘が開始されました。

北側は手始めに偵察を実施します。横一列に散開し、徐々に徐々に前進していきます。

その一方で、たらば分隊は北端から積極的に威力偵察をおこないます。

しばらくの間は戦闘が起きませんが、やがて敵が中央の高地に陣取っていることが判明します。

後にこの陣地は北から順に高地5、6、7と呼ばれ、攻防の焦点となります。

……あれ、高地4、5、6だったかな?(朧)

というか、たらば分隊北進は最初からだったっけ?
やはり時間が経つと記憶がおぼろげになります。

ともかく銃撃が始まりました。一番北側に位置し、最も防備が硬いと想定された高地4には米海兵隊と思わしき部隊が機関銃を据えていました。高地4は手強く、北側の側面攻撃にも耐えます。私は解放戦線の諸氏と共に、南側を前進しました。

ちなみフィールドセフティ側を地図の南側として記事を書いております。すげえ地図読めない感。

M60の猛射は凄まじく、また敵の逆襲が開始されたため、北側は一時退却します。

森まで退却した北側は体勢を立て直し、ケツサン基地の南側から敵指揮所を急襲せんとします。

……南側、北側と書くと地図のことなのか勢力のことなのかわかりにくいですね。

まあ、とにかく北側は南側から浸透を開始し、南側の指揮所と思わしき場所まで前進します。

しかし既にもぬけの殻。実はこの時、敵指揮所は若干北側に位置する陣地へ移動していたのです。

すかさず北側の兵士たちは攻撃を開始、指揮所にいる南側の兵力を一掃します。

すると今度は高地4に陣取る南側の米海兵隊が反撃体勢を整え、猛射を喰わせてきました。

この機会を逃すわけにはまいりません。たらば分隊長が突撃を命じると、北側の兵士たちは高地4の南側から東側にかけての範囲で南側に対する猛攻を始めます。

……ほんとわかりにくいなこれ。(こんな感じの英国ジョークがありましたね。パイソンにも似たようなスケッチがあったような……)


ここから先は凄まじい白兵戦となりました。バンカーを挟んでの撃ち合いは凄惨で、人民軍も解放戦線も次々に倒れていきます。

私など敵陣進入までに3回負傷しました。
最後は負傷した米兵が拳銃をこちらに向けようとしているのに気付いて、殴り殺してくれる!と自動小銃を掲げて突っ込んだのですが……やはり失敗しました。
横にいた味方の射線に入ってしまい、身体が左に傾いてズザァァと米兵の横に転がる始末。

さすがに北側が強すぎたのか(南側が弱いとは言ってない)、我々は難なくケツサン基地を望む高地群を占領します。

しかし米軍も黙ってはいません。何しろ、これらの高地はケツサン基地防衛に必須なのですから。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

久しぶりの写真。

高地4、5、6を占領した我々は急いで防衛準備を整えます。しかしこれらの高地は米軍側から丸見えで、防衛には適さない構造になっていました。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

そして厄介なのはこれらの高地すべてを守らなくてはいけないこと。我々に撤退する選択肢は無く、高地を守りきるだけの戦力もありません。

米軍の攻撃はなかなか始まりません。しかし用意周到に陣地攻撃の準備を整えていたようです。

まず高地4の前面に展開する米軍の動きが激しくなります。

米軍は高地群の北東方面と、南西方面から高地群を攻略せんとします。まず両脇の高地を堕としてから、真ん中をじっくり攻めようという魂胆です。

米軍の展開は遅く、ゆっくりとしたものでしたが、確実に包囲網を狭めてきます。

準備を整えたその瞬間、米軍は総攻撃を開始。高地4と6に向けて跳躍前進してきます!

人民軍と解放戦線は高地の争奪で既に戦力および弾薬を消費しており、兵士たちは間断なく続く米軍の攻撃で次々に倒れていきます。

まず陥落したのは高地4でした。米軍は次々に押し寄せ、北側はついに弾薬欠乏。鹵獲したばかりのM79もすぐに擲弾が切れ、立つ者はひとりもいなくなったのです。

高地5に到達した米軍はそのまま攻撃を続け、高地5への圧力を増していきます。2番目に陥落したのは高地6でした。これは解放戦線主体で防衛していましたが、高地4が崩れたことによって戦線はどんどん綻んでいきます。

最後の攻撃で高地5が堕ち、午前中の戦闘は終了となったのでした。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

戦闘終了後、昼休みを挟みます。

到着が少し遅れてしまったのでフィールド発注のお弁当はなし。保険で何か買っておくべきでしたね……。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

昼下がりの太陽がケツサン基地を照らす頃、米軍は再攻撃のために集結を開始します。

一方の北ベトナム人民軍、および南ベトナム解放戦線は森の手前に防衛戦を敷きました。
高地群の奪取、そしてケツサン基地攻撃への橋頭堡を確保するためです。

とはいえども、いかんせん戦力が足りません。米軍は狙撃兵を投入して北側の兵を狙撃する一方、着実に前進してきます。

多くの米軍戦力はCPと連絡を取りつつ進んでいるためか動きが鈍重で、なかなか最前線へ到達しません。その一方で、一度攻撃を開始すると鬼神の如き迅速さで突撃隊を繰り出してくるのです。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

しかし今はまだ平和な時間が流れていました。

ミツバチが花から花かへと忙しく飛び回り、てんとう虫がサンバを踊り出します。(踊りません)

ところでベトナムにもてんとう虫はいるんでしょうか。純粋な疑問……。

我々は待ち続けました。ひたすら、ひたすら待ちます……。

私は戦線の南方にあるタコツボの中で自動小銃を構えていました。いつまでも変わらない景色……。高地6は我々の手の内でしたが、高地5は無人、高地4はすぐに奪回されると予測できます。

すると、視界の端で何かが動きます。米兵のヘルメットです。幾つものヘルメットが出たり隠れたり、徐々にこちらへと近づいてくるのです。

目の前のタコツボでは解放戦線の戦士がアメリカ製の短機関銃を抱き抱えてうずくまっています。45口径で肉薄する腹積もりなのでしょう。右翼側少し後方には自動小銃を構える戦士(彼も解放戦線でした)がいるはずです。

そこへたらば分隊長が現れ、敵との交戦を命じます。たらば分隊の面々も援護に駆けつけ、遮蔽物に身を隠していきます。

射撃を始めたのはどちらだったのか……。とにかく遭遇戦が始まりました。恐らくは米海兵隊。向こうも土手を利用して機関銃の掃射を浴びせてきます。

しばらくの間、どっちつかずの射撃戦が展開されます。そのうちに、敵の射撃が弱まってきましたが……。

またも、たらば分隊長が現れます。

「左翼が突破される!何名か応援に来てくれ!」
「自分が行きます!」

たらば分隊長について走っていくと、たらば分隊の一員が自動小銃を短く切りながら撃っているのが見えます。

「敵は何処に」
「あそこだ。連中ここを突破するらしい。もっと左翼側に回ろう」

注:個人的な主観が多々入っています。実際はこんな会話はしてません。

米兵はじわじわと攻めてきます。塹壕がひとつ、またひとつと陥落していき、森の手前まで追い詰められるのでした。

たらば分隊長がまたやってきて、全隊に命じます。

「一時後退し戦線を整理!」

かくして戦線は森とケツサン基地のちょうど境目に移動したのでした。

ここで我々は地の利を生かして奮戦します。こちらは森という天然の遮蔽物に囲まれていますが、米軍は小高い陣地の上からこちらを狙わなくてはならず、空にシルエットが浮かび上がります。

ちょうど、ワンスアンドフォーエバーのような構図です。ゲイガン少尉が死んでまう……。(時代が違う)

とはいえ展開はまさにあの映画の通りでした。

米軍は小高い丘の陣地からこちらを伺いますが、なかなか攻めてきません。射撃、応射、反撃、沈黙。これを繰り返していきます。

全く、連中は何をしてるんだ。暑さでへばってしまったのかと思いかけた頃……。

突如、米軍が塹壕から躍り出てきます!戦線全域で攻撃を開始したのです。

不意をつかれた人民軍と解放戦線はたちまち苦戦。米軍は一気に躍進し、肉薄攻撃を仕掛けてきました。

が、米軍側の攻撃も上手くいかなかったらしく……しばらく膠着した後、米軍はまた陣地に引き上げていきました。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

そして最後の攻撃。

本隊が森の中から一点集中攻撃を仕掛け、外縁陣地を突破。これに呼応して、後方に回り込んだたらば分隊が助攻を開始。最終的に高地群を包囲殲滅するという作戦が立てられました。

後方浸透の特務を与えられたたらば分隊に、私とレバサシさんも参加することになります。

最終作戦ということで荷物は全て背負っていきます。攻城作戦の虎の子に……と安置しておいたM79も担ぎます。

が、軽い。なんと肝心の弾薬をセフティ忘れてきたのでした。

うーん。アホすぎる。そしてスリングが無いので、AKとM79を持ち運びできない……

仕方なくM79をリュックに詰め込みます。移動しにくいったらありゃしない。

M79を使いたい気持ちは山々なのですが、やはり鹵獲兵器なりの運用を考えなくてはいけません。午前中の陣地防衛での使用は無理が無くて良いと思いますが、やはり攻撃戦で鹵獲M79はむちゃくちゃかな……

と思った次第。ベトベトくらい人数がいればなんとか行けなくも無いですが。


そんなこんなで重武装全力ダッシュ。フィールドの脇を風の如く通り過ぎ、絶壁のような崖を登り、敵の注意が逸れた瞬間に陰から陰へ移動します。(そこまで大げさではない)

が、草むらの陰で攻撃待機中に状況が変わります。

なんと米軍の防衛戦は予想以上に硬く、主力を欠いた北側勢力は逆襲を受けて窮地に陥っていたのです。

分隊は急遽転進。防衛線北端で、友軍を攻撃する敵分遣隊の背後から奇襲を仕掛けます。

ああ、もしここでM79を使えたら!だが悲しいかな、弾薬はありません。先ほどまで待機していた草むらにリュックごと置いて、身軽になっていました。

奇襲は失敗し、我々は逆包囲され、殲滅されてしまうのでした。



乾坤一擲の最終作戦は無残に失敗します。

もはや、小手先の戦術は通用しない……北側勢力はもう一度、力を振り絞って総攻撃をかけます。

戦力を分散せず、1点突破に望みをかけます。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

ようやく、人民軍と解放戦線の戦士たちが勝利をつかみます。高地は陥落し、北側の手に戻ったのでした。


すっごい今更ですけど、米軍側の地図だと東西南北はどっちだったんですかね(普通に地図通りの東西南北だと思いますけど)

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

というわけで、ナムこれ改お疲れ様でした。

ベトベト・ベトマニとはまた違った良さのあるイベントだと思います。ある程度の年代設定が念頭に置かれているのが嬉しいですね。

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

当日の最終的な私の装備。

いろいろダメだしをされたいのですが、どんなものでしょうか。

今の所上がっている改善点は、

・肩掛け式マガジンポーチの調達
・ズボンベルトの調達
・手榴弾ポーチを腰の後ろ側に回す
・リュックサックの端末処理
・米袋など生活用品の充実

ですかね。他にもありそうなので、コメントしてくださればと思います……。

あ、M79使いたい熱もなんとかしないと……。いっそ南ベに行く?

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

参戦記録 ナムこれ改 ケツサン基地の攻防

ナムの仲間が少しずつ増えていって、非常に嬉しい限りです。



次の目標はアホカリ参戦。

人民軍で行くか、解放戦線で行くか……。

どちらも問題点や改善点が山積みです。

ただ、解放戦線でいきそうだなぁ……などと考えています。

まだまだ計画中ですが。



次回の記事はAGM製 エアコッキングM1カービンを予定しております。

ベトマニで一部に好調だったので……素のままよりかは、それなりに良くはなったかなと。

直近では塹壕掘りにも出てみたいかなぁと考えております。


それではまたお会いしましょう。




同じカテゴリー(北ベトナム正規軍)の記事画像
アホカリプス2018 参戦手記②(北・正規軍にて)
アホカリプス2018 参戦手記①(北・正規軍にて)
2018前半のナム戦イベント参加記録
170409 ベトベトマニア3 参戦記録編
同じカテゴリー(北ベトナム正規軍)の記事
 アホカリプス2018 参戦手記②(北・正規軍にて) (2018-08-06 23:33)
 アホカリプス2018 参戦手記①(北・正規軍にて) (2018-08-05 23:18)
 2018前半のナム戦イベント参加記録 (2018-06-23 23:13)
 170409 ベトベトマニア3 参戦記録編 (2017-04-28 02:38)

この記事へのコメント
御世話になりました。
たらば3(スリー)です。

レポート拝見しました。
大変楽しいイベントでしたね。

また宜しくお願い致します。
Posted by たらば3(スリー) at 2016年06月22日 02:40
たらば3さん
コメントありがとうございます。大変濃密な時間を過ごすことができましたね!またお会いできるのを楽しみにしております。
Posted by ラクの戦争は終わったラクの戦争は終わった at 2016年06月22日 21:54
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。