2018年08月05日
アホカリプス2018 参戦手記①(北・正規軍にて)
アホカリプス2018が終わって1ヶ月になります。本当にそんな時間が経ったのか甚だ疑問ですが、しかし暦の上ではすでに8月になったようです。2018年7月7日、そして8日。近くて遠い、あの日々。
約1ヶ月前。私は北ベトナム人民軍……もとい、南ベトナム民族解放戦線の正規軍兵士としてモ・トスの戦場におりました。これはその際の記録となります。
なお、文中に登場する主だった写真はクレイジーホース様(@SydchDotabVswNI )の作品をお借りしています。特に注釈がなければ、全てがそうです。この場を借りて御礼を申し上げます。なおとても素晴らしい写真ですので、目線を隠す等の加工等は一切施していません。悪しからず。
さて、あの日……。
約1ヶ月前。私は北ベトナム人民軍……もとい、南ベトナム民族解放戦線の正規軍兵士としてモ・トスの戦場におりました。これはその際の記録となります。
なお、文中に登場する主だった写真はクレイジーホース様(@SydchDotabVswNI )の作品をお借りしています。特に注釈がなければ、全てがそうです。この場を借りて御礼を申し上げます。なおとても素晴らしい写真ですので、目線を隠す等の加工等は一切施していません。悪しからず。
さて、あの日……。
全土が悪天候に覆われていた7月7日。私は大将さんと一緒にモ・トスへ進軍しておりました。初めての高速道路、初めてのETC、初めての首都高。そして初めてのアホカリプスです。
思えば2016、2017共に行けなかった苦い思い出があります。特に昨年は直前になって仕事が入り、泣く泣くのキャンセルでした。良くしてくれているたらばスリーご夫妻も諸事情により不参加……。ようやく今年になって行けるようになりました。
生憎の雨模様でしたが、それでも100人以上の好き者が集まりました。非常にゆったりとした夜を過ごすことができたのです。
しかし集中豪雨の被害は凄まじかったようで、多くの方が不参加という形になってしまったようです。せっかく来られたたらばスリーご夫妻も、苦渋の撤退を選択します。
集中豪雨で直接的に、また間接的に被害に遭われた方々に今更ながらですがお見舞いを申し上げます。
北側の戦力は40名弱となっていました。このうち人民軍(正規軍)は10名、解放戦線は31名でした。そしてそれぞれから指揮要員が1名づつ抜かれたため、実戦力は9名、30名となったのです。ヤミカルトさんとカミカゼさんが指揮を取られた形になったのですね。ダッコン部隊も4名いたのですが、30名の中に含まれているかどうかまでわかりません。
状況説明のためアホカリプス2018作戦地図をお借りします(問題ある場合は消します)。
また、参戦手記内では北ベトナム人民軍を解放戦線正規軍とし、南ベトナム民族解放戦線は解放戦線地方軍として表現いたします。これは、北ベトナム人民軍があくまでも南ベトナム民族解放戦線の“正規軍”であり、北ベトナムの軍隊は南ベトナムに展開していないことを示しております。
この手の政治的な背景、および呼称については様々な議論があるかと思いますが、本項では上記のように統一させていただきます。こちらも悪しからず。
解放戦線は一般に村落ゲリラ、地方軍、正規軍(北ベトナム人民軍)の3つに分けられるようですが、どうも村落ゲリラという言い方がしっくり来ません。同じことが正規軍の内情にも言えるのですが……やはり複雑な戦争ですね。
…………解放戦線の勇士はモ・トス地区のド・カンで待ち伏せ攻撃後を実施した。しかし敵の反撃は激しく、解放戦線は一旦“アラモ”、我々の言葉で言う“聖域”まで後退せざるを得なかった。
解放戦線主力の地方軍は各地に展開し、我々正規軍は直接敵軍と対決することになった。直ちに態勢を整え、再度ド・カンまで慎重に前進する。正規軍序列は本部班、私の所属する第2班、そして第1班の順。いずれも基本単位である3名で構成されており、少人数であるが遊撃戦であれば充分に戦える人数である。
ド・カンへ向かう道の左側(地図でいう南東方面)には小高い丘がそびえており、また前方にはひらけた場所の先に森があった。第2班は藪を抜けて小高い丘に取り付き、敵を待ち伏せするよう命令を受けた。
我々は士気が高く、どのような敵でも撃破できると考えていた。第1班が前方警戒の任務に就く中、第2班はじっと待ち、茂みの向こうを凝視する。
しばらくすると敵部隊……オーストラリア軍もしくはSOGと思われる部隊がド・カンに到達し始めた。規模は分隊以下で、片手で数えられるくらいではないかとも思われた。この時、自分は稜線上の草むらにうまく隠れていた。このため全体像を伺うことはできなかったが、ド・カンに取り付いた敵兵士2名を真右から狙えた。
第2班は射撃せず、後続部隊が来るのをただひたすらじっと待っていた。こちらから敵は丸見えだった。敵がはっきりわかるほどの距離で、ひたすら息を潜めた。
どちらの側が先だったかわからないが、激しい戦闘が始まった。敵が動き出したので逃すまいと自分も射撃を開始。3点射を加える。ところが最初の待ち伏せ攻撃で弾倉の弾が空に近くなっており、すぐ撃てなくなってしまった。なんたる初歩的ミス。慌てて弾倉交換するも、敵はすでにこちらに気付いており反撃される。ちょうどここで鋭く後退命令が発せられた。他の班員は3点射を正しく実施しており、有効な打撃と混乱を与えることができたのである。
後退命令が出ると第2班はド・カン手前の丘から素早く退避。本部班および第1班の支援で新たな前線に全員が到達した。敵は待ち伏せを恐れたのか、それ以上前進してこない。
時を同じくして、北方から射撃音と悲鳴が聞こえてきた。敵別働隊が地方軍とぶつかったらしい。敵部隊の影は至る所に見受けられた。平地の先や、森の間のわずかな隙間を飛び越えていく敵兵達。正規軍は3方向を敵に囲まれていたのである。小さいが緑あふれる尾根を中心に各班は周囲警戒を厳にした。
その時、警報が発せられた。敵部隊が北方から前進してくるというのだ!敵縦隊は道を南下してくる。分散していた3個班は絶好の待ち伏せポイントに移動し、敵の到達を待つ。薮の向こうに満たされていく敵影……今だ!しかし射撃開始と同時に、どの敵兵士も白い包帯を身につけていることに気づく。どうやら北方での戦いは解放戦線の勝利に終わったらしい。その残存兵力だ。直ちに射撃が中止されるも、満身創痍の敵はさらに追い討ちをかけられた形となった。その後しばらくの間の記憶は定かではない。
その後、正規軍は補給を繰り返しながらド・カン前面で防御戦闘を実施する。北方から回り込んできた敵特殊部隊に危うく背後を突かれかけるが、地方軍部隊も合流したことで辛くも反撃に成功し、特殊部隊員を捕虜にとる。依然として士気は高い水準を維持していた。
“聖域”で地方軍諸部隊と戦況情報を交換した我々は、北東方面で我が方の特殊部隊が遊撃戦闘を繰り広げていることを知る。どうやら敵主力は移動しつつあり、敵戦線に大きな穴が空きつつあるようだ。この情報を元に新たな作戦が立てられた。この襲撃作戦自体は失敗するが、しかし本戦中で最も大きな戦果に繋がる。
敵司令部がド・カン後方に位置すると考えた分隊長は後方からの強襲を実行する。その道中は厳しいものであった。ある程度の土地勘があるとはいえ、住み慣れた土地ではないモ・トスの山道を歩くことは困難を伴う。それでも我々は物音ひとつ立てない隠密行動を実施し切った。
首尾よく敵部隊の後方に回り込み、ド・カンを確保するものの敵司令部はいない。しかし、あの小高い丘の先から複数の喋り声が聞こえてくる。敵の大部隊が展開しているらしかった。分隊長は軽機関銃を設置させると射撃を開始させた。
たちまち軽機関銃が火を吹き、眼下に展開する敵部隊が動揺する。敵は浮き足立ち、大声を出して部隊の掌握に努めようとしている。北方には地方軍部隊がいて、敵部隊はそちらにしか注意を払っていなかったのだ。敵は戦線を縮小し始める。完全に混乱し、壊滅しかけていた。一定の打撃を加えたから後退しても良かったのだが、しかし敵部隊を壊滅させる良い機会でもある。
「今だ、突撃、突撃!」
軽機関銃の支援のもと、分隊長が先頭になって前進する。この突撃は撤退中の敵部隊を寸断することになる。先ほど待ち伏せをしたあの尾根を越えると、今度は凄まじいほどの火力で反撃を受けた。
「もっとだ、前へ!」
私はさらに進んだが、そこが終わりの場所だった。小道の上にあるゴツゴツした岩に隠れた私は被弾し、仰け反って倒れた。太陽は眩しかった。昨日まで大雨は嘘のようだった。しばらくその場に転がっていると、近くに人の気配がするのでバクシィと弱々しく呼ぶ。すると味方の正規軍兵士が駆け寄ってきて、私を助けてくれた。
戦闘は解放戦線の圧勝に終わっていたのだ。なんたる精強さ。私は第2班を見つけて合流した。その後、再編成と補給を受けた我々は再度攻撃を仕掛ける。しかし2回目は無かった。別の敵分隊を壊滅させて前進した我々は森の手前で強力な抵抗に遭う。そしてその間では味方のダッコン部隊が救助を求めていた。
そのまま前進するのは不可能と判断して迂回するも、なんとそちらが敵の本隊であった。我々は攻撃を仕掛けるも無残な結果に終わる。地方軍も数個分隊が付近に展開していたが、続々と集結してくる敵部隊の圧力には無力であった。ここでの敵反撃は完全に成功し、我々は敗れ去った。保有する弾薬一切をここで失うことになるのである。
参戦手記と解放闘争は②へ続く……
思えば2016、2017共に行けなかった苦い思い出があります。特に昨年は直前になって仕事が入り、泣く泣くのキャンセルでした。良くしてくれているたらばスリーご夫妻も諸事情により不参加……。ようやく今年になって行けるようになりました。
生憎の雨模様でしたが、それでも100人以上の好き者が集まりました。非常にゆったりとした夜を過ごすことができたのです。
しかし集中豪雨の被害は凄まじかったようで、多くの方が不参加という形になってしまったようです。せっかく来られたたらばスリーご夫妻も、苦渋の撤退を選択します。
集中豪雨で直接的に、また間接的に被害に遭われた方々に今更ながらですがお見舞いを申し上げます。
北側の戦力は40名弱となっていました。このうち人民軍(正規軍)は10名、解放戦線は31名でした。そしてそれぞれから指揮要員が1名づつ抜かれたため、実戦力は9名、30名となったのです。ヤミカルトさんとカミカゼさんが指揮を取られた形になったのですね。ダッコン部隊も4名いたのですが、30名の中に含まれているかどうかまでわかりません。
状況説明のためアホカリプス2018作戦地図をお借りします(問題ある場合は消します)。
また、参戦手記内では北ベトナム人民軍を解放戦線正規軍とし、南ベトナム民族解放戦線は解放戦線地方軍として表現いたします。これは、北ベトナム人民軍があくまでも南ベトナム民族解放戦線の“正規軍”であり、北ベトナムの軍隊は南ベトナムに展開していないことを示しております。
この手の政治的な背景、および呼称については様々な議論があるかと思いますが、本項では上記のように統一させていただきます。こちらも悪しからず。
解放戦線は一般に村落ゲリラ、地方軍、正規軍(北ベトナム人民軍)の3つに分けられるようですが、どうも村落ゲリラという言い方がしっくり来ません。同じことが正規軍の内情にも言えるのですが……やはり複雑な戦争ですね。
…………解放戦線の勇士はモ・トス地区のド・カンで待ち伏せ攻撃後を実施した。しかし敵の反撃は激しく、解放戦線は一旦“アラモ”、我々の言葉で言う“聖域”まで後退せざるを得なかった。
解放戦線主力の地方軍は各地に展開し、我々正規軍は直接敵軍と対決することになった。直ちに態勢を整え、再度ド・カンまで慎重に前進する。正規軍序列は本部班、私の所属する第2班、そして第1班の順。いずれも基本単位である3名で構成されており、少人数であるが遊撃戦であれば充分に戦える人数である。
ド・カンへ向かう道の左側(地図でいう南東方面)には小高い丘がそびえており、また前方にはひらけた場所の先に森があった。第2班は藪を抜けて小高い丘に取り付き、敵を待ち伏せするよう命令を受けた。
我々は士気が高く、どのような敵でも撃破できると考えていた。第1班が前方警戒の任務に就く中、第2班はじっと待ち、茂みの向こうを凝視する。
しばらくすると敵部隊……オーストラリア軍もしくはSOGと思われる部隊がド・カンに到達し始めた。規模は分隊以下で、片手で数えられるくらいではないかとも思われた。この時、自分は稜線上の草むらにうまく隠れていた。このため全体像を伺うことはできなかったが、ド・カンに取り付いた敵兵士2名を真右から狙えた。
第2班は射撃せず、後続部隊が来るのをただひたすらじっと待っていた。こちらから敵は丸見えだった。敵がはっきりわかるほどの距離で、ひたすら息を潜めた。
どちらの側が先だったかわからないが、激しい戦闘が始まった。敵が動き出したので逃すまいと自分も射撃を開始。3点射を加える。ところが最初の待ち伏せ攻撃で弾倉の弾が空に近くなっており、すぐ撃てなくなってしまった。なんたる初歩的ミス。慌てて弾倉交換するも、敵はすでにこちらに気付いており反撃される。ちょうどここで鋭く後退命令が発せられた。他の班員は3点射を正しく実施しており、有効な打撃と混乱を与えることができたのである。
後退命令が出ると第2班はド・カン手前の丘から素早く退避。本部班および第1班の支援で新たな前線に全員が到達した。敵は待ち伏せを恐れたのか、それ以上前進してこない。
時を同じくして、北方から射撃音と悲鳴が聞こえてきた。敵別働隊が地方軍とぶつかったらしい。敵部隊の影は至る所に見受けられた。平地の先や、森の間のわずかな隙間を飛び越えていく敵兵達。正規軍は3方向を敵に囲まれていたのである。小さいが緑あふれる尾根を中心に各班は周囲警戒を厳にした。
その時、警報が発せられた。敵部隊が北方から前進してくるというのだ!敵縦隊は道を南下してくる。分散していた3個班は絶好の待ち伏せポイントに移動し、敵の到達を待つ。薮の向こうに満たされていく敵影……今だ!しかし射撃開始と同時に、どの敵兵士も白い包帯を身につけていることに気づく。どうやら北方での戦いは解放戦線の勝利に終わったらしい。その残存兵力だ。直ちに射撃が中止されるも、満身創痍の敵はさらに追い討ちをかけられた形となった。その後しばらくの間の記憶は定かではない。
その後、正規軍は補給を繰り返しながらド・カン前面で防御戦闘を実施する。北方から回り込んできた敵特殊部隊に危うく背後を突かれかけるが、地方軍部隊も合流したことで辛くも反撃に成功し、特殊部隊員を捕虜にとる。依然として士気は高い水準を維持していた。
“聖域”で地方軍諸部隊と戦況情報を交換した我々は、北東方面で我が方の特殊部隊が遊撃戦闘を繰り広げていることを知る。どうやら敵主力は移動しつつあり、敵戦線に大きな穴が空きつつあるようだ。この情報を元に新たな作戦が立てられた。この襲撃作戦自体は失敗するが、しかし本戦中で最も大きな戦果に繋がる。
敵司令部がド・カン後方に位置すると考えた分隊長は後方からの強襲を実行する。その道中は厳しいものであった。ある程度の土地勘があるとはいえ、住み慣れた土地ではないモ・トスの山道を歩くことは困難を伴う。それでも我々は物音ひとつ立てない隠密行動を実施し切った。
首尾よく敵部隊の後方に回り込み、ド・カンを確保するものの敵司令部はいない。しかし、あの小高い丘の先から複数の喋り声が聞こえてくる。敵の大部隊が展開しているらしかった。分隊長は軽機関銃を設置させると射撃を開始させた。
たちまち軽機関銃が火を吹き、眼下に展開する敵部隊が動揺する。敵は浮き足立ち、大声を出して部隊の掌握に努めようとしている。北方には地方軍部隊がいて、敵部隊はそちらにしか注意を払っていなかったのだ。敵は戦線を縮小し始める。完全に混乱し、壊滅しかけていた。一定の打撃を加えたから後退しても良かったのだが、しかし敵部隊を壊滅させる良い機会でもある。
「今だ、突撃、突撃!」
軽機関銃の支援のもと、分隊長が先頭になって前進する。この突撃は撤退中の敵部隊を寸断することになる。先ほど待ち伏せをしたあの尾根を越えると、今度は凄まじいほどの火力で反撃を受けた。
「もっとだ、前へ!」
私はさらに進んだが、そこが終わりの場所だった。小道の上にあるゴツゴツした岩に隠れた私は被弾し、仰け反って倒れた。太陽は眩しかった。昨日まで大雨は嘘のようだった。しばらくその場に転がっていると、近くに人の気配がするのでバクシィと弱々しく呼ぶ。すると味方の正規軍兵士が駆け寄ってきて、私を助けてくれた。
戦闘は解放戦線の圧勝に終わっていたのだ。なんたる精強さ。私は第2班を見つけて合流した。その後、再編成と補給を受けた我々は再度攻撃を仕掛ける。しかし2回目は無かった。別の敵分隊を壊滅させて前進した我々は森の手前で強力な抵抗に遭う。そしてその間では味方のダッコン部隊が救助を求めていた。
そのまま前進するのは不可能と判断して迂回するも、なんとそちらが敵の本隊であった。我々は攻撃を仕掛けるも無残な結果に終わる。地方軍も数個分隊が付近に展開していたが、続々と集結してくる敵部隊の圧力には無力であった。ここでの敵反撃は完全に成功し、我々は敗れ去った。保有する弾薬一切をここで失うことになるのである。
参戦手記と解放闘争は②へ続く……