2015年10月31日
2015-09-26 ナムこれ チバ省ルアナ地区
サイゴンは陥落しましたが、ベトベトは永久に不滅です!(最終戦で初参加者)
と、いうわけでもう1カ月経っちゃいますが、ナムこれの模様をお送りいたします……。
解放戦線にもっとどっぷり浸かりたくなりました。
と、いうわけでもう1カ月経っちゃいますが、ナムこれの模様をお送りいたします……。
解放戦線にもっとどっぷり浸かりたくなりました。
ベトベト18戦によってベトナム戦争の世界にどっぷり入り込んだわけですが、次なる戦場はどこになるかという問題がありました。
ご存じの通りベトベトは18戦で終了しました。またアホカリプスのようなイベントは車がなくては参加が難しくなります。いろいろ探していくと、9月に2回のナム戦イベントが開催されることが判明し、8月頃から参加を検討し始めたのでした。
1つはかめ鍋会。最初は参加を検討していましたが、迷っているうちに締め切りに……。どのみち群馬まで車なしで行くのは無謀だったでしょう。それで迷ったわけですし……。
もう1つのイベントがナムこれ。これは至近のルアナスタイルで開催されるとあって、早くから参加申請を出していました。なにしろ開催されたのがベトベトでも運営を担当されていた方々で、主催は博士さんでした。
最初はモシン・ナガンM1891/30で参加しようと考えていました。しかし、9月20日のマタギ遠征後、ももか工兵軍曹殿からトンプソンM1A1を受領することができたのでした!
昔からトンプソンには「いかにも持て余しそうな形状のストックだが、実際持つと至極構えやすい」というイメージがありました。しかし自分で買うなら解放戦線で多用されたM1カービン……そう思い続けて手を出さなかったのです。
(ちなみにそのあと、工兵軍曹殿のところへG36KVを送ったのでした。夏電動ガン福袋の中身は全部自分の手から離れる予定です)
そして実際に持ってみると……やっぱりすごくいい。しかも東京マルイのお墨付きです。初速は最近測ったところ(弾速計を買ったのです)、0.78~0.80Jという数字が。室内戦とかに持ってく気まんまんです。
五六式弾帯にすっぽり収まる30連マガジン。なんで20連のノーマルマガジンはないんですかね……。
解放戦線も割とトンプソンを使っていたとのことで、十分使えるようです。むしろモシン・ナガンは歩兵銃型が供給されていなかったらしく、主に騎兵銃、そして狙撃銃が使われたという話です。あんな長いものを持って密林に入れるか!ということでしょうかねぇ。
そんなこんなで9月26日を迎え、私は電車に乗ってルアナスタイルに向かったのでした。
*写真は修正してあります。
バスに乗り、最後は歩きで現地に移動します。着いてみると、なんとお店が開かれていました!
ベトベトのときもお世話になったし、フロレスさんのガラナファクトリー@guaranastore が出店されていたのです!ちょうどサバゲ用の迷彩服がほしいと思っていたところなので何か買いたいところだったのでしたが、あいにく持ち合わせがありませんでした……。
コットンのピストルベルトとか欲しかったんですけどね。まさかお店があるとは思いも依らなかったのです。
教訓:イベントには金もってけ。
ベトベトでもお会いしたソコロヴィッチさんとチキン軍曹さん。今回、北ベトナム側はなぜか拳銃や小銃が多く、逆に解放戦線は5人全員が自動火器を装備していました。まあ解放戦線が作戦の主戦力だしね。
って指揮官多すぎないですか汗
示し合わせたようにみんな双眼鏡を持ち合わせていたのでした。
M16はプラスチックのおもちゃっていうけどね、それはアメリカ人だけの考えですよ。と思った瞬間です。
‘‘重要書類‘‘を振りかざす南側の指揮官。お名前がわからないです……。
この方と、北側の同志(これまたお名前がわからない……)がゲーム中の小芝居を担当されていました。
今回の私です。ブラックパジャマ上下にトンプソン、タオルとベトコンハットを被っています。本当はこれにデモリションバッグと五六式弾帯をつけて行動していました。ベトベト以来のM79も一緒です。
しかしトンプソンを持ったことで、M79も一緒に担いで行くのは大変厳しいことだと気づかされました。トンプソンM1A1はかさばりすぎていて、擲弾手の自衛用火器としては大きすぎますね……。
やはりMAT49か、現実的にはM3グリースガンが良いのでしょうね。でも40mmカートリッジの迫力はまったく素晴らしいです。
ナムこれの戦闘は17度線を境にして繰り広げられました。北側南側双方に陣地があり、北側の積極攻勢を南側が抑えるかたちです。ほとんどの南側部隊は北ベトナムへの進撃を禁じられていましたが、SEALだけは隠密作戦で境界線を越えてきたのです。
午前中は北ベトナム正規軍と解放戦線が各個に戦闘をおこないました。しかし北ベトナム正規軍はあくまで解放戦線の指導に派遣されていたため、苦戦を強いられました。それでも米軍の勢いは弱く、境界線付近の前哨陣地は一時的に北側のものとなりました。
例によって南側の人数が勝っていたため、北側はタッチ&ゴー回復方式でほぼ無限リスポンをしていましたw
ここから掲載する写真は1週間だけ限定公開されたナムこれ公式の写真です。戦闘中の写真があるっていいですねぇ。
……今回、何度か虎に喰われて死んだんですがそれは()
自分の写真もあったので引っ張ってきました。正直、トンプソンとM79を両方持つのはエアガンとはいえ結構つらいものがありました。
戦闘中はこんな感じで、背中にM79を背負い、デモリション・バッグにモスカート3種7発を詰めたのでした。このうち4発が不調で、まともに撃てたのはG&PのXM651E1タイプ18連だけでした。
もう少し装備を掘り下げていきたいですね……。五六式弾帯は後半ほとんど使いませんでしたし、なにかもっと良くなる手があるように思えます。
サンヘルメットを使うというのもいい手だなと思いますが、いずれにせよ研究が必要です。
今回、解放戦線の兵器で見受けられたのはAK、M3グリースガン、M1A1トンプソン、PPSh-41、MP40というところですかね。
午後からは米軍の攻勢が始まり、境界線は地図の上だけとなりました。勇敢なるベトナムの同志たちは遅滞戦闘をおこないつつ後退に成功し、一時は本陣を奪われるものの反撃に成功します。
ソコロヴィッチさんが仰っていたように、分隊行動は無いと言いつつも見事な分隊行動がとれていたのが印象に残っています。
本陣を奪われた後、一時的に敗残兵となって離散したのは内緒ですが()
最後は北側の総攻撃で幕を閉じます。私は左翼側から米軍CP前の機銃座に突撃することになりました。
が、いかんせん兵力が少ない。左翼側最前線にいたのは私とソコロヴィッチさんだけという南無三な状態。他の友軍は遠すぎて支援が届きません……。
おまけに正規軍のソコロヴィッチさんが逃走して南ベから寝返った将校に撃ち殺されるという体たらくw
枯れ木の陰に巧みに設置されたM60は強力でしたが、なんと射撃中に装弾不良を起こし弾幕が止みます。(ボルトハンドルが折れたそうな)
これ幸い!あいや立ち上がらんと特殊弾薬(=空弾倉)を撃ちまくり突撃しますが、腰の大砲を抜いた機銃手にあえなく射殺されます。枯れ木のすぐ目の前、哀れ解放戦線の勇志は力尽きたのでした。突撃発起線からかれこれ5回以上は死んでるんですが。いや6回かな?
ちなみに今回、死んだと思っていた米兵が手榴弾を自爆させる場面に3回立ち会って3回死にました。3回目は最後の機銃座占領時ですね。トータルで何回死んだんだ……。
というわけでここまでが公式さんから引っ張ってきた写真です。普段、戦闘中の姿を見ることなど不可能に近いので、とても感謝しております。(もし公式写真仕様に不都合等ありましたら削除対応をとらせていただきます……)
そして戦いは終了したのでした。いやあ、やっぱりヒストリカルはいいですね。
北側、この人数だったんですね……ヤードも混じっていますが。
帰宅時、なんとフロレスさんのご厚意で駅まで送っていただけることになりました!
ベトベトは主に前夜祭の関係で開催できるフィールドが見つからないらしく、しばらくの間はナムこれという形で開催する……という話を拝聴しました。慰問ショウのないベトベトなど、ベトベトではないと……。
しかしあきらめずに開催の道を探しておられるということで、またあの地に立てることを願っております。
さて、今回も痛感したのが火力差。
まあゲリラと大国では土台無理な話ですが、それでも軽機関銃くらいは欲しいもの。
いろいろ考えていくと、M60を鹵獲するか、あるいは北からZB26の供給を受ける、というのが自分の中での答えとなっています。M1919A4ないしA6や、BARという選択肢もありますが、現実的にはZB26が一番よいのかな、と。
もちろんDP28があるのなら、迷わずそこへ行くでしょう。フィンランド軍でも使えるのですから。ZB26もルーマニア軍に用いれるかな……という淡い期待があります。
フィンランド軍。11月7日、PHSに参戦予定です。明日中に参戦表明と、記事を書く予定です。
夢にまで見た二次戦イベント。どうなるでしょうか。
今回の記事はこれにて終了です。
今日はNAMNAM開催の日らしいですね。もう来年まではベトナム戦争イベントもないことでしょう……。しばらくの間、ブラックパジャマは冬眠することになります。
ではでは……。